1887(M20).4 | 中学校令に基づき、第二高等中学校設置 |
1887(M20).7 | 仮事務所を宮城県尋常中学校内に設置 |
1887(M20).8 | 仮事務所を荒町尋常小学校に移転 |
1888(M21).2 | 片平丁の元陸軍用地(現在の東北大学片平キャンパスの一部)を敷地として定める |
1888(M21).4 | 本校を宮城尋常中学校跡(東二番丁)に移転 医学部を宮城医学校跡(東二番丁)に開設 |
1888(M21).7 | 校舎新築工事起工 |
1889(M22).7 | 校舎が一部完成。8月には本部及び医学部が移転。また校舎と合わせて正門も整備される [正門と校舎] |
1890(M23).7 | 寄宿舎、物理化学教場が完成 |
1891(M24).10 | 開校式を挙行、校内を広く一般に公開。また合わせて医学部生徒の卒業証書授与式を行う [開校式] |
1892(M25).6 | 敷地32,273.41坪(106689.0m2)、建物合計3,482.52坪(11512.5m2)を資金に編入 |
1892(M25).9 | 寄宿舎開設 |
1893(M26) | 建物56.15坪(185.6m2)を資金に交付。同窓会である「尚志会」設立 |
1894(M27).6 | 第二高等学校と改称。10月26日を開校記念日と定める |
1894(M27).9 | 第三高等学校から生徒78名が転学。校舎の狭隘化により寄宿舎を廃し、図書室・博物室・事務室を移す |
1897(M30).10 | 博物および地質鉱物図書教室完成 |
1897(M30).12 | 東三番町附属地(宮城病院)に新築の臨床講義室完成 |
1898(M31).3 | 新築の図書測量室完成 |
1898(M31).10 | 寄宿舎を再設置。新築の医学部生理病理の2教室完成 |
1898(M31).12 | 新築の医学部組織学教室完成 |
1901(M34).4 | 医学部分立、仙台医学専門学校と改称 |
1902(M35).9 | 寄宿舎廃止、教室に転用 |
1904(M37).3 | 新築教室1棟完成 |
1906(M39).9 | 第二高等学校寄宿舎明善寮開設(清水小路一番地:2階建、定員50名収容) |
1906(M39).12 | 端艇競漕用運動場敷地として陸前國宮城郡鹽釜町大字鹽釜小字杉ノ入表の国有林を文部省所管に組替 |
1907(M40).2 | 校舎の一部を2月18日から3月31日まで仙台高等工業学校へ貸付 |
1908(M41).2 | 新築化学教室1棟完成 |
1908(M41).7 | 片平丁40番地の土地1,600.49坪(5290.9m2)を運動場として司法省より管理換え |
1908(M41).12 | 新築物理実験室1棟完成。片平丁44、45番地の一部および41番地、42番地、43番ち合計907.26坪の民有地を買収して運動場とする |
1909(M42).7 | 敷地26,107.83坪(86306.9m2)のうち、6,252坪(20667.8m2)を東北帝国大学理科大学建設地として文部省建築課仙台出張所に引き渡す |
1909(M42).8 | 運動場門番所1棟を古河家より文部省を経て寄附を受ける |
1910(M43).5 | 煉瓦造3階建の図書館書庫(現東北大学文化財収蔵庫:登録有形文化財)24坪(79.3m2)が完成 |
1910(M43).6 | 木造の元磁力計室1棟25.75坪(85.1m2)を管理換えで取得 |
1911(M44).4 | 新築の図書測量教室1棟完成。この工事に伴い、正門北側の門番所を南側に移転 |
1912(M45).4 | 新築の図書館閲覧室完成。5月から図書館の夜間開館を実施 |
1912(T1).10.26 | 創立25年記念式を挙行 |
1918(T7).3 | 木造2階建教室および小使室5棟完成 |
1918(T7).12 | 改築校舎11棟完成 |
1922(T11).5 | 物理実験室および動植物実験室完成 |
1923(T12).7 | 北六番丁(旧東北大学雨宮キャンパス)の移転先敷地において地鎮祭挙行 |
1925(T14).2 | 北六番丁(旧東北大学雨宮キャンパス)の新築教室・事務室・講堂等完成 |
1925(T14).6 | 明善寮分散式挙行。7月に1906(明治39)年から続いた清水小路明善寮閉鎖 |
1925(T14).7 | 東北帝国大学の拡充をはじめ、仙台医学専門学校、仙台高等工業学校などいくつかの教育研究機関が立地し、片平丁が手狭になったことから、北六番丁(旧東北大学雨宮キャンパス)に移転。守衛所設置 [北六番丁正門と校舎、守衛所] |
1925(T14).9 | 中杉山通52番地の平家を借りて臨時的に明善寮とする(中杉山明善寮。寮生18名) |
1927(S2).1 | 中杉山明善寮分散会開催 |
1927(S2).春 | 隣接する北七番丁の土地に明善寮が完成、4月から入寮開始 [明善寮] |
1935(S10).9 | 粟野観音像除幕 旧二高片平丁正門を北六番丁構内の武道寮の正門として移設 |
1937(S12).9.30 | 創立五十周年記念として片平丁の旧講堂を北六番丁構内に移築 |
1937(S12).10.26 | 創立五十周年記念式を挙行 |
1945(S20).7 | 仙台空襲で校舎が全焼 |
1945(S20).9 | 三神峯の幼年学校の校舎借用の了解を得る [三神峯校舎] |
1945(S20).12 | 新寄宿舎を三神峰明善寮と命名。また正門を三神峯に移設 |
1946(S21).12 | 三神峰寮舎焼失 |
1948(S23).3 | 二高教授会にて東北大学との合併を承認 |
1949(S24).5 | 東北大学第二高等学校となる |
1950(S25).2 | 最後の卒業式 |
1950(S25).3 | 63年の歴史を閉じる。正門は仙台市立博物館敷地内に保存 |
1967(S42).10 | 創立八十周年記念校歌碑を片平に設置。正門を略旧地に復す |
1976(S51).10 | 創立90周年に際し二高精神の象徴「雄大剛健」の碑を雨宮に建立 [雄大剛健の碑] 榴ヶ岡公園に枝垂桜を植樹、園地を造成 |
1978(S53).10 | 粟野観音像を三神峯から東北大学川内キャンパスを経て北六番丁の元の台座に復す [粟野観音像] |
1986(S61).10 | 創立百周年に際し、片平旧校庭に二高尚志像(佐藤忠良作)を設置 [二高尚志像] 雨宮に正門内ロータリーを整備し、シナノキ・ユリノキ並木を植樹、ロータリーにイチイを植える 三神峯公園内に「涅槃之碑」を建立 明善寮構内に明善寮寮歌歌碑を建立 地下鉄台原駅前の樗牛通ケヤキ並木を植樹 |
1989(H1) | 三神峯に東北大学三神峯明善寮・有朋寮寮生有志により「散りし花」碑建立 |
1996(H8).10 | 創立110周年記念に片平で正門を旧観に戻し、新たに蜂章碑を加え「第二高等学校片平記念苑」として整備 [第二高等学校片平記念苑] 雨宮に中杉山明善寮碑を移設、中杉山明善寮分散歌碑を加え「第二高等学校北六記念苑」を整備 [明善寮分散歌碑] |
2022(R4).8 | 雨宮キャンパス売却に伴い、粟野観音像を第二高等学校片平記念苑に移設。台座の巨石はひび割れなどの劣化により移設が困難であったため新設し、巨石の一部を碑文の台座として使用 [粟野観音像] |
参考文献等
・尚志の契り 第二高等学校創立百十周年記念(H8.9.30 第二高等学校尚志同窓会)
・第二高等中学校一覧(国立国会図書館デジタルコレクション)
・第二高等学校一覧(国立国会図書館デジタルコレクション)
・明善寮編年譜(S11 第二高等学校明善寮寮史編纂部 編 国立国会図書館デジタルコレクション)