見学についての詳細は>こちらから
建設年:1904(明治37)年
構造・階数:木造平屋建
建築面積:138㎡
現在位置:B05 魯迅の階段教室
登録年:2017年
>仙台医学専門学校について
旧仙台医学専門学校六号教室は、片平キャンパス北門を入ってすぐ、右手のB01 WPI-AIMR本館とB02 東北大学本部棟1(旧東北帝国大学理学部化学教室)の間を入ると
左手に旧仙台医学専門学校博物・理化学教室棟(平面教室)(現在のB04 東北大学本部棟3)が見え、その奥に隣接している建物です。
本建築は東西に入り口を持つ方形平面の建物で、外壁は南京下見板張りに白色ペンキ塗り、縦長の窓を持ち、基礎はレンガ基礎、屋根は西側が寄棟、東側が切妻の瓦葺屋根で、破風が付いています。
内部は東側に講壇を置き、西側に向かって階段状に上がる造り付けの机および椅子を備える階段教室です。
『宮城県の近代化遺産-宮城県近代化遺産総合調査報告書-』(平成14年3月 宮城県教育委員会)によると1904(明治37)年に完成しました。建築主は仙台医学専門学校です。
西面屋根飾り(2021年修復)
仙台医学専門学校は、1912(明治45)年に東北帝国大学医学専門部に、医学専門部は1915(大正4)年、東北帝国大学医科大学(のちの医学部)に改組されました。これに伴い本建築も所管が引き継がれました。 しかし東北帝国大学医科大学は片平キャンパスから約2km離れた北四番丁(現在の星陵キャンパス)に設置されたため、本建築など旧医学専門部の建物は地質学教室および理化学研究所や法文学部仮教室等として使用されました。 仙台医学専門学校校舎の多くは構内が整備されるに伴い取り壊されましたが、その中で本建築は遺されてきました。
本建築は現在の片平キャンパスの一部であった仙台医学専門学校の敷地内に建築されました。 仙台医学専門学校一覧(明治38〜39年)、および当時の写真によると建築当初、当該建築は現在の向きから180度回転した形で旧仙台医学専門学校博物・理化学教室棟(平面教室)(現在のB04 東北大学本部棟3)の東側に接続した 1つの建物でした。 『東北帝国大学本部理学部及工学部法文学部金属材料研究所平面図 大正14〜15年』によると、1924(大正13)年頃、当該建築が切り離され南側に移設され、 さらにその後『東北帝国大学本部理学部及工学部法文学部金属材料研究所配置図 昭和11年3月31日現在』によると180度回転した形で西に移設され現在地に配置されました。
一体の建築であった跡が残る東壁面
近年では1998(平成10)年、2009(平成21)年に外部および内部の塗装劣化部の補修を行っています。また2021(令和3)年には屋根の飾りの修復を行っています。
なお現在地に移築する際、内部が改造された可能性は否定出来ません。『仙台医学専門学校一覧』明治38〜39年付図を見ると机の配置は三面鏡型であり現在の形状と異なっています。
西側の外からの入り口も現在は講壇から見て左側に設けられていますが、『仙台医学専門学校一覧』(大正3〜4年)を見ると現在と異なっています。
また1913(大正2)年ごろの写真に写っている教室の後ろに設けられている幻灯機室も現在は存在しません。
しかしながらおそらく昭和11年頃の最後の移築後の状態を保っており保存状態は概ね良好です。
仙台医学専門学校は中国の作家魯迅が1904(明治37)年に留学し医師を志した場でもあります。これは1998(平成10)年に江沢民主席が仙台を訪れる契機にもなっており、現在も中国から多数の方々がここを訪れています。
日中の交流の歴史という側面から見ても、貴重な建築です。