1887(M20).4.18 | 第二高等中学校設置 |
1887(M20).8.19 | 第二高等中学校医学部設置。10月には定員を200名と定められる(本科予科460名と合わせて第二高等中学校の定員は660名と定められる) |
1888(M21).2.12 | 片平の元陸軍用地を第二高等中学校の敷地と定める |
1888(M21).4.1 | 医学部を宮城医学校跡に開設。10日には初めて医学部の授業を開講 |
1888(M21).7.11 | 校舎の新築工事起工 |
1889(M22).8.1 | 本部および医学部を片平の新築校舎に移転 |
1890(M23).8.26 | 医学部に薬学科を附設(定員60名) |
1891(M24).10 | 開校式を挙行。同時に医学部生徒卒業証書授与式を行う |
1894(M27).6 | 第二高等学校と改称 |
1897(M30).12 | 東三番丁附属地(宮城病院)に臨床講義室竣工 |
1898(M31).10 | 医学部生理病理の2教室が完成し、移転 |
1898(M31).12 | 医学部組織学教室新築完成、移転 |
1901(M34).4 | 医学部を仙台医学専門学校と改称し、分離独立。従来の医学部を施設として使用し、生理学教室を事務室に充て事務を開始。寄宿舎はなかったため、当分通学することとする |
1904(M37).3 | 博物物理化学教室(登録有形文化財旧仙台医学専門学校六号教室および旧仙台医学専門学校博物・理化学教室など)新築 [教室とテニスコート] |
1904(M37).9 | 周樹人(のちの魯迅)が入学 |
1905(M38).5 | 東三番丁附属地(宮城病院)に講義室2棟改築 |
1906(M39).春 | 魯迅退学 |
1907(M40).4 | 寄宿舎を開設 |
1910(M43).6 | 東三番丁附属地(宮城病院)の敷地・建物を宮城県所有の北四、五、六番丁(現在の星陵キャンパス)の敷地と交換 |
1911(M44).7 | 北四番丁に臨床講義室5棟および各科研究室完成 |
1912(M45).3 | 仙台医学専門学校から東北帝国大学医学専門部となる |
1913(T2).3 | 北四番丁敷地内に解剖学教室2棟完成。寄宿舎を廃止 |
1913(T2).4 | 北四番丁の宮城病院の土地、建物ならびに設備一式を宮城県から文部省に寄附。これを医学専門部の附属医院とする。医化学教室新築起工 [附属病院(北四番丁)] |
1914(T3).3 | 医化学教室完成 |
1914(T3).5 | 病理学教室起工 |
1915(T4).3 | 病理学教室完成 |
1915(T4).5 | 生理学および細菌学教室起工 |
1915(T4).6 | 医学専門部が北四番丁校舎に移転。片平丁の第二高等学校敷地内にある医学専門部の建物は東北帝国大学理科大学の所属に移す |
1915(T4).7 | 東北帝国大学に医科大学開設。医学専門部の附属医院、各臨床講義室、解剖学、医化学、病理学教室ならびに工事中の生理学および細菌学教室は医科大学所属に移す |
1915(T4).9.1 | 医学専門部の授業を医科大学各臨床講義室、基礎医学教室、医科大学附属医院内において開始 |
1916(T5).6 | 医学専門部の図書を東北帝国大学附属図書館医科分館に保管転換 [附属図書館医科分館(北四番丁)] |
1917(T6).4 | 薬学科の生徒が全て卒業。薬学科を閉鎖 |
1918(T7).4 | 医学専門部の学生が全て卒業。4月26日東北帝国大学医学専門部廃校 |
1919(T8).4 | 東北帝国大学医科大学を医学部に改称。現在の東北大学医学研究科へと続く |
[参考文献等]
・第二高等中学校一覧(国立国会図書館デジタルコレクション)
・第二高等学校一覧(国立国会図書館デジタルコレクション)
・仙台医学専門学校一覧(国立国会図書館デジタルコレクション)
・東北帝国大学一覧(国立国会図書館デジタルコレクション)
[関連リンク]
・魯迅と東北大学(東北大学史料館)