青葉山キャンパスの歴史
青葉山キャンパスは、藩政時代、仙台城の御裏山(現在の東北大学植物園)から奥羽山脈へと繋がる山林となっていました。
戦前は、旧日本陸軍の演習用地として使用されていましたが、終戦後は米軍の演習場として接収され、接収解除後は開拓地として開墾事業が行われていました。
1961(昭和36)年に片平キャンパスから青葉山へ工学部の移転整備が開始されたのを皮切りに、理学部や薬学部がそれぞれ整備され、現在では大学の教育研究の中心を担うキャンパスとなっています。
青葉山キャンパスの埋蔵文化財
青葉山地区は、江戸時代には仙台城の後背地として、明治時代以降も帝国陸軍第二師団の演習地として、一般の立ち入りが制限されていました。戦後も、東北大学の理学系学部の青葉山移転が始まる1964(昭和39)年以前には、わずかに開拓農家が点在する程度で、遺跡付近の自然景観は比較的良好に保たれていたと考えられます。
1971(昭和46)年頃から始まった東北大学考古学研究室による踏査や、東北大学埋蔵文化財調査センターによる調査により、青葉山の遺跡群は、旧石器時代・縄文時代を中心とした遺跡群であることが判明しました。しかし、旧石器ねつ造事件が発覚し、青葉山B遺跡、青葉山E遺跡第5次調査の旧石器に関しては、学術資料としては適切ではないことが判明しました。ただし、2006(平成18)年度に調査した青葉山C遺跡においては、後期旧石器が出土しており、旧石器時代の遺跡が存在しているのは確実です。
詳しくは埋蔵文化財調査室のページをご覧ください。
戦後1947(昭和22)年から現在までの青葉山の変遷を航空写真で振り返ります。
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△1947(昭和22)年(ゴルフ場造成前)航空写真
青葉工業会報第十九号に掲載された1960年代の青葉山への移転当初の「工学部キャンパスの計画コンセプト(建築学科 筧和夫助教授著)」について紹介します。
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紫色:名所・旧跡 オレンジ色:近代建築・歴史的建造物 黄緑色:記念碑